日本の世界に誇る有名ボディビルダー10選【男性編】

日本のボディビルダー

こんにちは!

パーソナルトレーナーのKOHRIMAN(@kohriman)です。

日本には世界に誇るボディビルダーがたくさんいます。

今回はそんな最高にかっこいいボディビルダーを10名ご紹介いたします!

目次

鈴木雅 選手

ボディビル界のゴールデンボーイとも呼ばれている鈴木雅選手は、日本ボディビル・フィットネス連盟主催の大会で2010年から2018年まで日本一に輝いているボディビルダーです。

また、株式会社THINKフィットネスのゴールドジムトレーニング研究所所長、読売ジャイアンツの球団スタッフとして、若手選手のトレーニングや栄養指導も行っています。

日本ボディビル選手権で日本一になった後も、アーノルド・クラシック・アマチュア男子ボディビル選手権では、日本人初となる優勝も経験。

大会のないオフシーズンでも体脂肪率10%程だそうで、たゆまぬ努力、高いプロ意識でゴールデンボーイといわれるのも納得です。

現在は、日本一の経験を活かし、書籍の監修や芸能人のパーソナル指導、オンラインサロンのオープンなど活躍の場を広げています。

自身のInstagramでは、食事や、筋トレ風景や鍛え抜かれた筋肉を惜しげもなく披露していますので、今後もゴールデンボーイの名にふさわしい活躍が期待できますね。

鈴木雅選手が見れるyoutube

Max-MEN TOKYO 2018日本ボディビル選手権 鈴木雅フリーポーズ

山岸秀匡 選手

日本で唯一のプロボディビルダーの山岸秀匡選手。

日本人離れした大きな筋肉が自慢で、IFBBアーノルド・クラシック212では日本人で初めて優勝するなど輝かしい功績を残しています。

プロボディビルダーは生計をたてるのは難しく、国内のコンテストに出ても賞金はほとんど出ないため、トレーナーなどの仕事の傍らに活動している人が多いです。

プロボディビルダーとしての生計を立てるには、本場アメリカの大会に出場し、上位の成績を残さない限り難しいのが現実。

しかし、山岸秀匡選手はオリンピアやワールドクラシックという大会で結果を残し、高額賞金だけでなく、スポンサー契約も勝ち取りました。

プロとしてスポンサー契約ができるのは、世界でも200名ほどしかいません。

その中に山岸秀匡選手はいるわけですから、日本一のボディビルダーといってもよいでしょう。

山岸秀匡選手のYouTube

山岸秀匡選手のTwitter

須山翔太郎 選手

須山翔太郎選手は、1999年17歳で東京ジュニアで優勝、2004年東京選手権では大会最年少22歳で優勝するなど鮮烈なデビューに天才ボディビルダーの出現と注目されました。

現在は、都内を拠点にパーソナルトレーナーとして活動しながらトレーニングを続けています。

初心者から経験者まで幅広い層にトレーニングを教えていて、カリスマボディビルダーから指導を受けられると話題です。

また、ボディビルダー界のグルメ王とも呼ばれていることも。

以前、大会で思うような結果が残せないときに、ストレスで拒食症のような状態になった経験があり、そのツラさから、食に関しては強いこだわりがあり、筋肉やトレーニングだけでなく栄養摂取方法についても学んだそうです。

須山翔太郎選手が見れるYouTube

Max-MEN TOKYO 2019男子日本ボディビル選手権 須山翔太郎フリーポーズ

中山 翔二(なかやまきんに君)選手

自慢の筋肉を武器に、バラエティで活躍するなかやまきんに君は、お茶の間にボディビルを広めた人物で知名度もあり、日本一のボディビルダー候補として活躍しています。

なかやまきんに君は学生時代にバスケットをしていて、スポーツ万能だったそうです。

バスケットボール部の引退後、ジムに通いましたがこの頃は、ボディビルダーを目指していたわけでなく「近所だったから」という理由。

吉本興業に所属し、芸人の活動と並行してトレーニングを続け、2015年から東京ノービスボディビル選手権大会に出場しています。

東京オープンボディビル選手権の2019年の第27回大会では惜しくも2位でしたが、2021年の第29回大会では念願の初優勝を果たしました。

中山 翔二(なかやまきんに君)選手のYouTube

中山 翔二(なかやまきんに君)選手のTwitter

横川尚隆 選手

若手ボディビルダーでもっとも注目を集めている横川尚隆選手。

かわいらしい童顔からは想像もつかない筋肉の持ち主で、範馬勇次郎の肉体になりたいとストイックに体を鍛えています。

イケメンと、天然キャラでテレビ番組でもお馴染みの横川尚隆ですが、2014年から大会に出場し、数々の実績を残しています。

当時21歳の2016年から快進撃が始まり以下のようなすさまじい成果を出しています。

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2016年:「JBBF 日本ジュニアボディビル選手権」優勝
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2016年:「IFBB 世界ジュニアボディビル選手権」2位
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2017年:「JBBF 日本クラス別ボディビル選手権80㎏以下級」優勝
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2017年:「JBBF 東京ボディビル選手権」優勝
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2019年:「JBBF 日本ボディビル選手権」優勝

憧れのボディビルダーは、ボディビル界のゴールデンボーイといわれる1番目のご紹介した鈴木雅選手。

筋肉のメリハリを大事にしていて、朝は卵とごはん、昼は牛肉とご飯、夕食は鶏の胸肉とご飯とトレーニングの合間に補食とほぼ毎日同じメニューだそうです。

横川選手には食事を楽しむという感覚がなくトレーニングの一環として捉えているそう。

メディアの露出が多く注目度も高いことから、ボディビル界の発展にも益々貢献してくれることでしょう。

横川尚隆 選手のYouTube

横川尚隆 選手のTwitter

相澤隼人 選手

「筋肉で日本を笑顔にする」がコンセプトのユニット、マッチョ29に所属する相澤隼人選手は、中学生の頃からボディビルの大会に出場している若手ボディビルダーです。

チートデイを設けないストイックなトレーニング方法で、めきめきと頭角を現しています。

4人兄弟の末っ子として育った相澤隼人選手は、兄を真似て腕立て伏せなどの筋トレを始め、小学校4年生から柔道を習っています。

柔道と並行しながら中学1年生でジムに入会しウェイトトレーニングをスタートしています。

分割法で地道に筋肉量を増やし、なんと中学2年生で神奈川県オープンボディビル選手権に初出場。

相澤隼人選手のデビューは衝撃的で、二次審査で敗退するも注目を浴びます。

注目におごることなくストイックにトレーニングを続け翌年の同大会では8位になりました。

それを皮切りに、2015年から2017年に全国高校生ボディビル選手権で3連覇優勝という偉業を達成しました。

また、2019年にはミスター東京日本ボディビル選手権優勝をしています。

相澤隼人選手のYouTube

相澤隼人 選手のTwitter

田代誠 選手

田代誠

引用:https://muscle-history.net/tashiro/

JBBF日本ボディビル選手権の日本一の経歴を持つボディビルダー、鈴木雅選手も影響されたという田代誠選手は、ゴールドジムを展開する株式会社THINKの取締役という顔もあります。

10代の頃には、柔道選手として筋トレを始め1990年以降、数々の大会で好成績を残しています。

日本ボディビル選手権大会で4度の日本一という偉業を達成するも、5連覇をかけた2005年の大会で、合戸孝二選手に日本一を譲り突如引退を発表しました。

しかし、7年後の2012年にボディビルダーに復帰し、ブランクがあるにもかかわらず日本ボディビル選手権大会で準優勝、世界ボディビル選手権70kg級で3位、日本選手権にて2位など周囲を驚かせました。

田代誠選手は、テーマを決めて計画的に筋トレをしていて、全身の筋肉がバランスよく鍛えられています。

また、スポーツ栄養学の専門誌で食事について紹介されるなど知識も豊富で「ミスターパーフェクト」と呼ばれています。

田代誠 選手を見れるYouTube

 Max-MEN TOKYO 田代誠選手フリーポーズ【2021男子日本ボディビル選手権】

筋肉博士 山本義徳 先生

山本義徳

 引用:https://www.bfr-trainers.jp/trainer/1

KOHRIMANも大尊敬しているレジェンド山本義徳選手は、とにかくその経歴が尋常ではありません。

1991年東京都パワーリフティング選手権大会で優勝、そしてここからボディビルダーに転身。

以降、数々の選手権やトーナメントで優勝を果たし、現在はタレントも務めます。

トレーニング指導者として、これまでにニコラス・ぺタス、フランシスコ・フィリオ、神取忍、ダルビッシュ有、松坂大輔など、数々の有名アスリートを指導

カッコいい身体をプロデュースするプロフェッショナルであり、そして自らもフィットネスモデルを務めています。

山本義徳 先生のYouTube

山本義徳 先生のTwitter

合戸孝二 選手

合戸孝二

引用:https://banbi-eye.com/archives/7971

日本ボディビル選手権大会で4度の日本一に輝き「狂気の男」と呼ばれている合戸孝二選手。

なぜ狂気の男といわれているかというと、誰もここまで真似ができないような重量でストイックに筋トレをして、大きい筋肉を鍛えているからだそうです。

ステロイドを使わず筋肉量を増やすのは大変なことなので、リスペクトの意味を込めてそう呼ばれていたのでしょう。

知人から誘われたのがきっかけでジムに通いだし、ボディビルダーの大会に出場したのは20代後半

ボディビル界では遅咲きですが、ものともせずアジア選手権2位、全日本ボディビル選手権で日本一と結果を出しました。

2019年の全日本ボディビル選手権も、横川尚隆ら若手のボディビルダーに交じり6位に入賞しています。

還暦を迎えても現役ボディビルダーとして活躍中ですが、眼底出血の悪化により左目を失明しています。

原因はストイックな筋トレや減量と、異変はあったものの、大会前で治療が遅れたことだそうです。

筋トレをやめ、治療に専念するよう医師のすすめもありましたが、完全な回復を見込めないこともあり、治療はせずボディビルダーとしてトレーニングを続けています。

合戸孝二選手が見れるYouTube

Max-MEN TOKYO 2019男子日本ボディビル選手権 合戸孝二フリーポーズ

日本ボディビル界のレジェンド

北村克己(マッスル北村)選手

マッスル北村

引用:https://www.tokyo-np.co.jp/article/58915

39歳の若さで他界してしまったマッスル北村選手は、極限まで食事や筋トレで追い込み、体作りをする伝説のボディビルダーとして活躍しました。

日本一ストイックなボディビルダーと言っても過言ではありません。

甘いマスクでタレントとしても活躍していましたが、過酷な食事制限による低血糖で急性心不全を起こしてしまいました。

マッスル北村選手のトレーニングや、食事制限は真似すべきではありませんが、ボディビルダーとしての情熱は誰よりも熱い人でした。

IFBBミスターアジア90kg以下級で優勝、WABBA世界選手権で3位、WABBA太平洋選手権で優勝するなど功績を残しています。

マッスル北村選手が良く食べていたという栄養満点の牛すじ丼は「マッスル北村の牛すじ丼」とトレーニーの間で受け継がれています。

また「負けや失敗を恐れず自分の心が真に欲する闘いに黙って挑みたい」など数々の名言も残しており、今もなお、伝説のボディビルダーと愛されています。

最後におまけ情報としてボディビルの歴史も解説してみたいと思います。

ボディビルの歴史

世界のボディビルの歴史

ボディビルは、19世紀後半にヨーロッパで始まり、20世紀初頭にアメリカに広まりました。

以下時系列でまとめてみました。

ボディビルの歴史年表
  • 19世紀末〜20世紀初頭
    • ボディビルの起源は、19世紀末にヨーロッパのサーカスで行われていた筋肉のショーにさかのぼることができます。この時期には、主に重量挙げの競技が行われており、体型よりも力が重視されていました。
    • 最初のボディビル大会は、「近代ボディビルの父」と言われるドイツ出身のユージン・サンドウによって1901年に開かれました。
    • そのコンテストは「グレートコンペティション」と呼ばれ、ロンドンで開催されました。
  • 1930年代〜1940年代
    • ヨーロッパ、アメリカでボディビルがブームとなり、競技会も増加。
  • 1950年代〜1960年代
    • この時期には、ボディビルの競技がますます発展し、ヨーロッパやアメリカ合衆国で多くの大会が開催されるようになりました。また、アーノルド・シュワルツェネッガーやセルジオ・オリバなど、多くの有名なボディビルダーが登場し、ボディビルの人気が全世界に広がりました。
    • 1950年、全米アマチュアボディビルディング協会 (NABBA) が「NABBAミスター・ユニバース・コンテスト」を英国で開始。
    • ミスター・オリンピアの第一回大会が1965年に開催される。
  • 1970年代〜1980年代
    • 1980年に女性版のミスター・オリンピアのミス・オリンパスが開催
    • この頃にはIFBBがボディビル界を統括。
  • 1990年代〜2000年代
    • この時期には、ボディビルの競技がますます進化し、多くの新しい大会や団体が誕生しました。また、この時期には、ロニー・コールマンやジェイ・カトラーなどの有名なボディビルダーが登場し、ボディビルの人気が全世界に広がりました。
  • 2010年代以降
    • 現代のボディビルは、選手の肉体美とともに、トレーニングや栄養学、さらにはドーピング問題などが注目されるようになりました。また、社会的にもボディビルの人気が高まっており、多くの人がトレーニングやダイエットなどで、ボディビルの美学を追求しています。
  • 2017年

日本のボディビルの歴史

日本でのボディビルの歴史は、比較的新しいものです。

以下時系列でまとめてみました。

日本のボディビルの歴史年表
  • 1950年代
    • アメリカからの影響を受け、ボディビルが日本でも広がり始める。
    • 1955年ころから第一次ボディビルブームが起こる
    • 同年10月全日本ボディビル・フィットネス連盟(JBBF)が設立される。これは日本で最初のボディビル団体とされている。
  • 1970年代
    • 各地域において、JBBFに対抗する形で、新たなボディビル団体が設立される。例えば、北海道ボディビル・フィットネス連盟など。
    • プロレスラー出身の佐藤光留選手が日本初のミスター・ユニバースに選ばれるなど、日本のボディビル界にも多くのスター選手が現れる。
  • 1980年代
    • アーノルド・シュワルツェネッガーの映画「ターミネーター」が日本で大ヒットし、ボディビルの人気が一層高まる。
  • 1990年代
    • 1990年代に入ると、日本でも多くのボディビル大会が開催されるようになり、日本人選手も国際大会で活躍するようになる。

日本が誇る有名ボディビル選手まとめ

今回は2022年現在として、僕が厳選させていただいた素晴らしいボディビル選手10名をまとめさせていただきましたが、昨今の筋トレ界隈の盛り上がりをふまえると、今後もどんどんすごい選手がでてきてくれる事でしょう。

これからのボディビル業界の盛り上がりが益々楽しみです!

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この記事の監修者

郡 勝比呂(こおりかつひろ) 郡 勝比呂(こおりかつひろ) ジムフィールド代表

「稼げるトレーナー」を作るパーソナルトレーナー養成講師。ベストボディジャパン公認ジャッジアドバイザー。NESTA JAPANアシスタントディレクター。All About メンズスタイルオフィシャルガイド。「遊ぶように鍛える」ジムフィールド代表取締役CEO

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